天皇陛下の生前退位が問題となった
昨年の7月から約半年
いよいよ現実味を帯びてきたと
感じていますが、陛下が退位され
皇位の継承が行われますと元号(年号)が
改元される事になります。
その元号(年号)の決め方や
また誰がどのように決めるのか
などを調べてみたところです。
元号とは
因みに元号は年号とも言われ
ある特定の年代に与えられる
称号のことになります。
現在の平成の年号ですが
昭和天皇が昭和64年1月7日
に崩御された事により
昭和から改元されております。
元号の決め方
1979年、昭和54年に制定された
元号法に沿って決められていきます。
皇位の継承が行われた時に新たな元号が
決められますが
昭和天皇が崩御された昭和64年を
例にとってその決め方の流れを
見ていきましょう。
▽昭和64年1月7日
午前6時33分 昭和天皇崩御
同日正午 元号に関する懇談会
政府の有職者8人と
衆参の正副議長4人で
行われる。
元号については早くから
東大名誉教授(有職者ら)により
案が練られておりました。
総理大臣に報告
全閣僚会議で協議
午後の臨時閣議
新天皇に上奏
公 布
<スポンサーリンク>
日本の歴史を振り返りますと
今から140年前くらいまでは
現在の「一世一元制」を用いていますが
それよりもっと前になりますと
天皇の代替わりだけでなく
吉事や天変地異による災害の際にも
元号を改元していたといいます。
大地震、疫病、皇居や城の火災
彗星、戦乱、新将軍就任 ...
改元することにより
世の中の流れをよくしたいという
気持ちの表れだったというのが
事実の様です。
江戸時代271年間で実に
35回の改元で37つの元号が
使われてきました。
見ての通り1年や3年くらいで
改元されることも珍しくなかった
ようです。
▽江戸時代の改元歴
慶長 12年
元和 21年
寛永 20年
正保 4年
慶安 4年
承応 3年
明暦 3年
万治 3年
寛文 12年
延宝 8年
天和 3年
貞享 4年
元禄 16年
宝永 7年
正徳 5年
享保 20年
元文 5年
寛保 3年
延享 4年
寛延 3年
宝暦 13年
明和 8年
安永 9年
天明 8年
寛政 12年
享和 3年
文化 14年
文政 12年
天保 14年
弘化 4年
嘉永 6年
安政 6年
万延 1年
文久 3年
元治 1年
慶応 3年
明治 6年
元号は誰が決める
「一世一元制」が取り入れられた
明治時代にさかのぼれば
当時の政府が元号の候補を
幾つか選んだ後に、明治天皇陛下が
クジをひき選ばれたとも言われて
おります。
しかしその後第二次世界大戦で
敗北したことがきっかけとなり
旧皇室典範改正時に、元号規定は
一旦は廃止されていましたが
1979年に元号法が新たに制定
されました。
その新たな元号法では
元号は政令により定めることと
明記されております。

政令【せいれい】
行政機関である内閣によって制定さ
れる命令。憲法・法律の規定を実施
するため,または法律の委任に基づ
いて制定される。
政令は特に法律の委任がなければ,
罰則を設け,義務を課し,権利を制
限する規定を設けることができない
(憲法73条,内閣法11条)。
引用 http:://kotobank.jp/
新しい元号どうなる
元号を決める上ではいくつかの注意点が
あると言われています。
① 漢字二文字
② 書きやすい
③ 読みやすい
④ 俗用されていないもの
これらにあてはまる漢字2文字
という事になりますので
過去に使われてきた漢字が
また使われることは珍しくなく
それらの組み合わせ2文字で新しい
元号が誕生する可能性もあるという
ことになります。
また噂ではすでに新しい元号の候補が
決まっているとの情報もあります。
生前退位の動向がまだはっきりしない
半年前の噂でしたので、それが
本当かどうかは分かりませんが
しかし現在の状況で考えてみますと
すでに有職者の方々により
幾つかの元号案が考えられているとしても
もう不思議ではありませんよね。
最近の日本では大地震などの
天変地異が続いておりますので
安、和、永、久、栄、などの漢字が
使われるのかなあ なんて思ったりしますが。
関連記事はこちら